『科学者はなぜ神を信じるのか』 感想
科学者でありながらカトリック教会の助祭として神に使える身である作者が、科学者と神との関係について記した本。
主に取り扱ってる科学者は物理学者が多い。
コペルニクス、ガリレオ・ガリレイ、ニュートン、ハイゼンベルグ、ホーキングとそうそうたる顔ぶれの紹介だ。
彼らが一体どんな功績を挙げて、神の存在と折り合いをつけていくのかの説明がつけられている。
ある人は、地動説を唱えて宗教裁判にかけられ、ある人は決定論という論説が提唱されるきっかけになり、ある人は神はサイコロをふらないと言ってのける。
なかなかに読み応えのある内容だった。
ニュートンの残した言葉に、
私は浜辺で遊ぶ少年のようなものだ。ときどき滑らかな小石や可愛い貝殻を見つけて遊んでいる。一方で、真実の偉大なる海はすべて未知のままに私の前に広がっている。
というのがある。
これはニュートンの神への態度を示している。
この本の中で気に入った言葉だ。
なぜ、作者がこのような本を書こうとしたかも書かれている。
なんでも、講演で訪れた高校で生徒から質問があり、「先生は科学者なのに、科学の話のなかで神を持ち出すのは卑怯ではないか」と言われたそうだ。
この質問を言い放った高校生もすごい。
いわば、この本はこの高校生の質問に対する答えらしい。
その答えとして、作者は、全てが科学的法則で分かった気になることこそ、思考停止ではなかろうか? と結論づけている。
いくら科学が発達しようともなぜは尽きない。
どこまでいってもその原因、始まりは、と謎は残されているのだ。
要するに作者の大掛かりな弁明みたいなものなのだろう。
それでも楽しめたから、作者にこの本を書くきっかけとなった質問をした高校生に「どうもありがとう」と言いたい気分だったりする。