『ポップ・スピリチュアリティ メディア化された宗教性』 感想
この本の中で紹介されているポップ・スピリチュアリティとは、後書きで「ポピュラー文化のなかのスピリチュアリティ」の略だと書かれている。
ポピュラー文化といえば、例えばテレビやS N Sだ。
宗教のように教義や聖典を持たず、流動的な人々の間で交わされているそういった宗教とは違う宗教性を持った類いのものを、この本では扱っている。
それは例えば、題名にもあるスピリチュアリティ だったり、パワースポットだったり、輪廻転生感であったり、魔術だったりする。
俺としては、最後の章である「サブカルチャーの魔術師たち 宗教学的知識の消費と共有」の章を楽しみに読んでいた感がある。
他の章はなんというか、分析に特化しているような感じの章が多かった。
第一章と第二章では、そもそものスピリチュアリティ の日本での歴史を概観している。
続く第三章から三つの章はテレビでのスピリチュアリティの取り上げ方と、そのブームの終焉を江原敬之さんの言説の分析で紹介している。
その後の章には、日本人にとっての輪廻転生感を分析した第六章、パワースポットの歴史とその体感の例を分析した第七章、第八章が続く。
こういった宗教とは違う宗教観のようなものはこれまで、公に研究されている例があまりないらしく、この本がそういった研究の先行例として参照されることを作者は望んでいる。
楽しみにしてた第九章で俺が気に入ったところは、要約だが「西洋の魔術を肯定しているわけではないが、制作者や視聴者は創る、視るという手段で魔術を駆使している」というところ。
つまり簡単に説明すると、そういったジャンルの話を創作することで製作者は空想の世界で、魔術を主人公媒介に駆使することができるし、視聴者も視るという行為で、その空想世界を召喚することができるということだ。
創作物に関わることで、人々は魔術師になることができるのだ。
そこが第九章のタイトルにもなっている。
俺の周りにもスピリチュアルだったり、パワースポットだったりの言説はテレビやネットとか見ていてもしょっちゅう出てくるような気がする。
そういったものがこうやって研究されて本になっていることは、面白いと思う。
大抵、信者だったりアンチだったりの、信じるか信じないかの本ばかりだからこういう風に、客観的な視点で書かれている本は貴重なのではないだろうか。
2024年1月23日の日記
今日は寒い日だった。
昨日デイに参加するために早く起きたわけだが、10時くらいに寝ても一時間ぐらいで目が覚めてその後ネット見てたら、朝の5時になってた。
それから寝て結局起きたのは4時。
昼夜逆転はなかなか治らない。
それで、わざわざ外出してしまって家に帰ってからもしばらく手が冷えて仕方がなかった。
こんな寒い日に外に出るもんじゃない。
帰る頃には雪まで降ってくる始末。
ここ数日は外出せずに暖かい家でごろごろしよう。そうしよう。
そして今日の話題。
俺からしてみればあまりキャラデザは似てないというか、結局可愛い系にするには造形が似てくると思うから、そこはあまりパクリだとは思えなかった。
ただ、ゲームの仕様はポケモンとかにも似てるかも。
2024年1月21日の日記
早くも三日坊主で終わりそうな予感がする。
そもそも引きこもり寄りの人間なので、ブログの記事にするようなネタはほとんどないと言ってもいい。
あんまり外出かけないし。
家でダラダラと過ごしてネットを見たり本を読んだりしてあとは、寝て起きてご飯食べるだけの生活。
他の人みたいにインプットして何か感想がワッと浮かんでくるような人間ではないので、ブログの記事にするのは大変だ。
まあ、なんとかかんとか捻り出して書くときは書くけど。
今日は本をたくさん読もうと思ったんだが、結局こんな時間になってしまってあまり読めてない。昨日はhuluでめぞん一刻を見て時間が足りなかった。
あれ、90話ほどあるから1日に2話ずつ見ていかないと視聴終了までに三ヶ月はかかってしまうからな。
できれば本を読むの早くなりたい。
そうすればもっとインプットできるのだが。
頭の中で声に出して読んでるタイプだから読むのに時間かかるのかな。
それはそうと、明日はデイがある。
車で一時間もかかるところにあるから行くのは億劫だ。
今日気になった話題は特になかった。
2024年1月20日の日記
今日も起きたのは5時ぐらい。
2時に一度起きたのだが、少し横になっていると眠ってしまっていた。
ネットでライブカメラ を見ていたり、某ユーチューバーの動画を見ていたりしていると、あっという間に7時。
テレビをつけたら博士ちゃんが神社への参拝のテーマでかかっていた。偶然今読んでいる本も神社のパワースポット的なものを説明する章だったので、見ることにした。
ちょうど夕食の席でもふしぎ発見、開運パワースポット巡りの回を途中まで見たので、そういう系の番組を続けてみた格好だ。
今日、目についた話題について。
日本って今まで月に探査機着陸させてなかったのか。
月周回衛星の「かぐや」は知っていたが、どうやら月面着陸の様子をライブで配信していたらしい。
俺はどこで配信しているのかも分からなかったので、見ていなかったがツイッターのトレンドに載るくらいには見ていた人は多かったようだ。
スペインで見つかったネコ科動物「マゲリフェリス」の記事。
第四紀の中新世に生きていたらしい。
哺乳類の化石種のことは他の年代の古生物に比べて詳しくはないから、どういう位置にいる古生物なのか分からないが、ネコ科動物の進化の解明に役立つ発見だったんじゃないかと思う。
2024年1月19日の日記
昨日というか、今朝は朝の7時に寝てしまったから、起きたのは夕方5時。昼夜逆転を直そうとするのは難しい。
できれば12時くらいには起きたい。
デイに参加するときは8時だろうとぱっちりと目が覚めるのだが、どうも意志薄弱のようで予定のない日はどうしても寝てしまう。
1月19日に目についた話題について。
【現行犯逮捕】渋滞中にトラックが追突、挟まれ大破した軽自動車の男女2人死亡 阪神高速https://t.co/Vsy1yRZ495
— ライブドアニュース (@livedoornews) 2024年1月19日
タンクローリーなど4台がからむ事故が起きた。逮捕されたトラックの運転手は「車内の荷物が落ちたのでよそ見をしていて、前を見たら間に合わなかった」と話しているという。 pic.twitter.com/74xh8aQJ6P
ここまで被害車両が潰れている事故は初めて見た。
軽自動車は危ないというが、これはコンパクトカーでも完全に圧縮されるのではないかという考えが頭をよぎった。
昔、車載動画で似たようなシチュエーションで軽自動車が挟まれる事故の動画を見たことがあるが、その時はちょっとタイヤを右に切っていたおかげで完全に潰されることなく、運転席の部分は無事で運転手も無事だった。
しかし高速道路ではそんなふうにすることはできないから、やはりこれは運なのかなあ。
恐ろしい。
世界最古の皮膚化石発見のニュース。
爬虫類のものらしい。
エドモントサウルスの皮膚化石やら、奇跡の保存状態と言われたボレアロペルタの化石は白亜紀くらいのものだから、2億9000万年前というと、それよりもはるかに古い年代だ。
鍾乳洞の中で化石って見つかるもんなんだなあ。
同産地で見つかるカプトリヌスと呼ばれる爬虫類のものだとする仮説が有力だそう。
昨日見つけたFictionJunctionというグループ? の曲を聴きながら記事を書いているが、調べてみるとこれも梶浦由紀さんが関わっているそうで、どうやら好きな曲は同じ人が関わっている率が高いっぽい。
「Nowhere」いい曲だ。
久しぶりの日記
このブログを開設してからもう5年も経つが、三日坊主な性格が災いして記事数はまさかの31個。少ないなあと思う。
とはいえ、文章を書くのは苦手な方なのでなかなか書こうという気になれなかったんだよなあ。
いろいろ本も読んできたが別に感想を書くほど感激したわけでもないし。
日常でも特に変わらない毎日が続くだけで、ネタにするものがなかったことも記事を書かなかった言い訳ではある。
投稿パターンにも規則性があるのだが、あるとき急に思い立って本の感想なんかを少し書いて、それだけで燃え尽きて放置をすることを繰り返していた。
というわけで、また急に思い立ってブログでも書くかと思い立ったわけだが、あまり気負わないでだらだらと脳内のあれこれを書き連ねていこうかと思う。
それでも多分飽きて三日坊主に終わるかもしれないけど、その時はその時。しかたあるまい。文章書くのあまり好きじゃないから。
さて、何を書こうか。今読んでいる本は堀江宗正さんの書いた『ポップスピリティアリティ──メディア化された宗教性』という本なのだが、読み終わったら感想を投稿しようかな。そうしよう。
書くことといえば、俺は文章を書くのが嫌いではあるものの、小説なんかを書くときがある。ショートショート という短い小説のジャンルしか今のところ書けてないが、それでも今まで仕入れた情報をアウトプットする作業は楽しい。
今、俺の手元に三冊のノートがある。
一つは読んだ本の内容を記録するノート。もう一つは小説を書くためのネタ帳。最後の一冊は落書きを書いたりする雑記張。
という分け方をしているのだが、いろいろ紆余曲折があってそれぞれのノートの内容が横断的になることがある。
本で仕入れた内容を小説のネタにしたいときなんかどのノートに書こうか、といった具合に。
それと同時に、新しく気ままに小説にはしないけど自分の趣味用のためのノートを書きたくなってきた。これ以上書きかけのノートを増やすわけにはいかない。
どうしようかと考えている最中だ。
どうせなら一冊丸ごと一つのジャンルに絞ったノートを書きたい。
読書ノートとネタ帳、それに雑記帳。うーむ、どうしたものか。
雑記帳の方はA罫だからあまり書くのに気が進まない。
他の二つも、半分以上書いてきたから途中で主旨変更するとごっちゃになっちゃう。
とりあえずネタ帳の方に書いていくと思う。
三日坊主だから、この試みもすぐに止めるかもしれんが。
『永遠の森 博物館惑星』 感想
この本は未来の話、地球の衛星軌道上に作られた巨大博物館<アフロディーテ>で起きる事件や出来事を総合管理職の主人公の目線から見た九つの連作短編からなる物語だ。
その内容は音楽が聞こえてくる絵画の鑑定、どこの出どころかも知れない人形の名前探し、バイオ・クロックと呼ばれる植物を用いた人工時計を巡る盗作騒動、小惑星で見つかった未知の種子と彩色片の分析といったもので様々だ。
主人公は<ムネーモシュネー>と呼ばれる検索装置を脳に直接接続しており、それを駆使して問題に取り組んでいく。
<アフロディーテ>とか<ムネーモシュネー>といった固有名詞が出てくる訳だが、他にも<エウプロシュネー>だとか、<アポロン>だとか、<デメテル>という単語が飛び出す話は、よく理解しないとこんがらがりそうになる。
どれもギリシア神話の神の名前から拝借されているので、何を表す神かを知ることができれば頭の中で整理できるかもしれない。
主人公は中間管理職にあたる位置づけであり、人間関係や芸術を巡る事件に散々に振り回される。愚痴も多い。いつの時代も悩みは同じという訳だ。
未来の博物館というだけあって、取り上げられる芸術も多岐にわたる。
よくこんな設定を思いつくなと思い、さらにその芸術を鮮やかに読者に想像させる描写力はすごいとも思った。
芸術とは何か?
このテーマはこの本に通奏低音として流れている。
時を超えた愛だったり、未知のものに触れる驚きだったり、才能の持ち主と受け手の関係だったり、芸術を取り巻く人間模様やドラマを読んでいるうちに、主人公と同じように美しさや、綺麗だという感情がどこから来るのか。それを考えさせられた。
蛇足だが、世界中の芸術品を集めるという<アフロディーテ>だけど、自分はもしもの時に備えていくらか分散して貴重なものは保存した方がいいのではないかと思った。
もし何かあったときに芸術品が全部パーなんてことが起こったら大変だからだ。
続編もあるらしい。
流石にそんなカタストロフィを描く未来はないだろうが。
いつか続編にも手を出したい本でした。